当時の私は、お金が入る日を待っていた。生活が楽になる日としてではなく、またギャンブルができる日として、待っていた。

まだ使ってもいないのに、頭の中ではもう始まっていた。今度は増えるかもしれない。失った分を取り戻せるかもしれない。お金が入る日が近づくほど、気持ちは高ぶっていった。

手元にお金がないあいだも、ギャンブルを忘れていたわけではない。次はいつ使えるのか。どうすればまたできるのか。そんなことを考えていた。

当時の私が困っていたのは、お金がないことだった。ギャンブルをやめたいとは、正直そこまで思っていなかった。

楽しみだったのは、始める前だった

勝った後の暮らしを、細かく思い描いていたわけでもない。大きく増えれば働かずに済むかもしれない、くらいのことは思っていた。正直、そこまで深くは考えていなかった。

楽しみだったのは、勝った後の暮らしより、始まる前のほうだった。

当時の私が調べていたのも、「どうすればギャンブルをやめられるか」より、「どうすれば次のお金を用意できるか」だった。

「しゃあない」で終わっても、また次を待った

負けた後、いつも強い罪悪感があったわけではない。自分がやりたくてやったんだから、しゃあない。そう思うこともあった。

それでも、少し時間がたつと、次にお金が入る機会のことを考え始めていた。

当時は、取り戻したいのはお金だと思っていた。今振り返ると、それだけではなかった気がする。費やした時間を、無駄だったことにしたくなかった。ギャンブルで増やそうとした自分の判断を、間違いだったと認めたくなかった。やめるのは、自分が賢くなかったと認めるようなものだった。

青いシャツの小路が、伏せた端末から手を離し、午後の長い光が差す窓辺で考えているイラスト
待っていた間も手元にお金がない時間も、次を考える時間になっていた

問題は、次のお金がないことだけではなかった

お金がなければ、その間はギャンブルができない。でも、またお金が入れば同じことをする。その状態で入金を待っても、暮らしが楽になるはずはなかった。

それでも当時は、「お金さえあれば」と考えていた。問題がお金だけに見えていて、入ったお金をまたギャンブルに使う前提は見ていなかった。

給料日前後に何を考え、どう使っていたのかは、体験記事「給料日は、またギャンブルができる日だった」で詳しく書いている。